エコバッグ2つ。
これが用意して欲しい持ち物表に書いてあった。
エコバッグぅーーー?
平井で売ってるところがないので、
楽天した。
今日届いた。
ちょっと小ぶりなエコバッグだった。
とにかく持っていく。
I井さんがいて、すぐ対応してくれた。
エコバッグを渡して、かーちゃんの洗濯物を受け取った。
老健に入れて、何も用事がないわけじゃない。
お風呂に入るので洗濯物が出る。
クリーニングに頼んでいる人もいるらしいが、
うちは洗濯物を取りに行くのを選択した。
コロナで面会ができない今、
老健に用事があって、行けば、様子が聞ける。
「起きてればご飯、食べてらっしゃいますよー。昨日はおやつの時寝てらっしゃって、おやつ食べなかったそうですが、まー、おやつなので大したことじゃないですが、ご飯は食べてるそうですよー。」
「それは良かった!」
かーちゃんの様子が聞けた。
ドアを出たら、デイケアのI東主任と会った。
「(かーちゃんは)昨日今日でリハビリもしてますよ。喋ってましたよ(笑)。」
先週の月曜に骨折が判明した時、
I東主任と老健の1階で会ったが、その時に、
かーちゃんが喋らない、という話をしていた。
かーちゃんは喉の機能が落ちてきていて、
あまり喋らなくなってきていた。
「今ご飯食べてるって聞きました! 喋るの、良かった!」
江戸川区歯科医師会がやっている、
嚥下機能が落ちた人の事を診てくれる病院があるのを8月に知って、
そこでは機能訓練もしてくれるのを知ったので、
行こうかと思っていた矢先だった。
とにかく老健に行けば、
かーちゃんのことを長年知っていて、
どのように変化してきているのかを知っているスタッフがいっぱいいる。
老健の副看護師長さんにも「以前お会いしてるんですよ。」と、初対面のはずの火曜入所日に言われた。
火曜午前中にそう言われて思い出していたのだが、
なかなか思い出せず、あーひょっとして?
ひょっとして城東に入院してた時に会った看護婦さんかな?
火曜午後に持ち物を搬入した際に、
「ひょっとして前に会った時は、白い白衣を着てらっしゃいましたか?」と聞いたら、
「そうです。白い白衣時代。うふふ。」と言った。
今は副看護師長で、
ピンクの老健スタッフの上衣を着ている。
知らない人ばかりで、
関係を1から築かないといけない特養に、
いきなり入れないで良かった。
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2020年09月18日
西先生51 かーちゃんのことを報告する
いつも夕方の時間からしか行ってないので、
午前中の診療時間はどうなっているのかわからなかったので、
昨日電話をかけて、今日の診療時間を聞いた。
今日9時半ごろのバスに乗って、西先生へ行く。
受付で診察券を出す。
「お母様のは?」すぐ受付のお姉さんに言われた。
「私1人のでいいんだ。」そう答えると、
「いつもお母さまの分、一緒じゃない。」
「かーちゃんは老健に入った。」
そう聞いて、受付のお姉さん2人とも、変な顔をした。
もう、そう言うのがギリギリだった。
泣きそうになった。
「薬だけ? 診察?」と追い打ちをかけられたので、
「診察。先生に話がある。」と答えた。
今日はお父さん先生なので、混んでいる。
1時間半ほど待った。
名前を呼ばれて診察室に入って待っていると、
いつもの採血看護婦姉さんと目が合ったので、
手を振った。
「さっき聞こえちゃったよ。老健に入ったって。」と言うので、
「そうなんだ。」としか答えられなかった。
採血看護婦姉さんと、かーちゃんと、私で、
いつも競馬のバカ話をしていた。
ゲラゲラ笑っていた。
泣きそうになったのを我慢した。
先生登場する。
かーちゃんのことを報告しなければならない。
こらえきれず涙声。
9月5日の土曜日に、かーちゃんを落っことして、
週開けたの月曜に骨折が判明して、
次の日火曜に老健に申し込みをして、と、
経過を延々と報告して、
老健に緊急に対処してもらって、
今週火曜に入所した話をする。
先生、ジッと話を聞いてくれる。
私ずっと涙声。
「すぐ入れて良かったじゃないか。」と先生は言った。
「今までの関係があったから、すぐ入れたんだよ。」
老健から、看取りの話や、
死んだ時の話を聞いたことを報告する。
自分では支えきれなくなった、
かーちゃんの首が後ろに倒れたままになって、
もう私ではどうにもならなかったことを報告する。
足も曲がったまま真っ直ぐに伸びなくなって、
腰も上げることができなくなって、
もう私の見様見真似の介護では、
どうにもならなくなったのを報告する。
その上、骨折した。
「先生、パーキンソン病でレビー小体病の要介護5を、私が介護するのはもう無理なんです。」
私が誰だか返事できない時も多くなってきた。
そんな矢先だった。
「もう、介護のプロにお任せした方がいいんです。」
話しながら、ずっと泣声。
先生は、黙って聞いてくれた。
「私ですか? 私はお腹もすくし、ご飯も食べてます。眠れてます。」
寝られなかったらマズイ、と思って、
かーちゃんが骨折してからこっち、
テアニンを寝る前に飲んでいるのだが、
それは言わなかった。
「次かその次に来た時に採血します。」
「はい。わかりました。」と言ったら、
先生が「(これからは)自分の事をやらないとね。自分の事だよ。」そう強く言った。
シバタに薬の処方箋を出して、L☆Hに行く。
珍しく店内に待ってるお客さんがいなくて、
すぐやってもらえた。
シバタに薬を取りに行って、お昼回っていたので、
王将でラーメン餃子をした。
島忠まで足を伸ばして、
島忠にしか売ってないB5のルーズリーフを買う。
バスに乗って戻ってきて、セブンの用事も済ませた。
長旅だった。
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午前中の診療時間はどうなっているのかわからなかったので、
昨日電話をかけて、今日の診療時間を聞いた。
今日9時半ごろのバスに乗って、西先生へ行く。
受付で診察券を出す。
「お母様のは?」すぐ受付のお姉さんに言われた。
「私1人のでいいんだ。」そう答えると、
「いつもお母さまの分、一緒じゃない。」
「かーちゃんは老健に入った。」
そう聞いて、受付のお姉さん2人とも、変な顔をした。
もう、そう言うのがギリギリだった。
泣きそうになった。
「薬だけ? 診察?」と追い打ちをかけられたので、
「診察。先生に話がある。」と答えた。
今日はお父さん先生なので、混んでいる。
1時間半ほど待った。
名前を呼ばれて診察室に入って待っていると、
いつもの採血看護婦姉さんと目が合ったので、
手を振った。
「さっき聞こえちゃったよ。老健に入ったって。」と言うので、
「そうなんだ。」としか答えられなかった。
採血看護婦姉さんと、かーちゃんと、私で、
いつも競馬のバカ話をしていた。
ゲラゲラ笑っていた。
泣きそうになったのを我慢した。
先生登場する。
かーちゃんのことを報告しなければならない。
こらえきれず涙声。
9月5日の土曜日に、かーちゃんを落っことして、
週開けたの月曜に骨折が判明して、
次の日火曜に老健に申し込みをして、と、
経過を延々と報告して、
老健に緊急に対処してもらって、
今週火曜に入所した話をする。
先生、ジッと話を聞いてくれる。
私ずっと涙声。
「すぐ入れて良かったじゃないか。」と先生は言った。
「今までの関係があったから、すぐ入れたんだよ。」
老健から、看取りの話や、
死んだ時の話を聞いたことを報告する。
自分では支えきれなくなった、
かーちゃんの首が後ろに倒れたままになって、
もう私ではどうにもならなかったことを報告する。
足も曲がったまま真っ直ぐに伸びなくなって、
腰も上げることができなくなって、
もう私の見様見真似の介護では、
どうにもならなくなったのを報告する。
その上、骨折した。
「先生、パーキンソン病でレビー小体病の要介護5を、私が介護するのはもう無理なんです。」
私が誰だか返事できない時も多くなってきた。
そんな矢先だった。
「もう、介護のプロにお任せした方がいいんです。」
話しながら、ずっと泣声。
先生は、黙って聞いてくれた。
「私ですか? 私はお腹もすくし、ご飯も食べてます。眠れてます。」
寝られなかったらマズイ、と思って、
かーちゃんが骨折してからこっち、
テアニンを寝る前に飲んでいるのだが、
それは言わなかった。
「次かその次に来た時に採血します。」
「はい。わかりました。」と言ったら、
先生が「(これからは)自分の事をやらないとね。自分の事だよ。」そう強く言った。
シバタに薬の処方箋を出して、L☆Hに行く。
珍しく店内に待ってるお客さんがいなくて、
すぐやってもらえた。
シバタに薬を取りに行って、お昼回っていたので、
王将でラーメン餃子をした。
島忠まで足を伸ばして、
島忠にしか売ってないB5のルーズリーフを買う。
バスに乗って戻ってきて、セブンの用事も済ませた。
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2020年09月16日
老健1 昨日言われたものを持っていく
ぱぱすの開店に合わせて、
昨日持って来てほしいと言われたものを買いに行く。
何か副看護婦長さんとケアマネI井さんが、
昨日正式名称を言わないで、
私に何となくどんな商品かを説明して、
それを頼りに買ってきたけど、これでいいのかな?
「100本入りで売ってます。」と副看護師長さんが言ってたけど、
50本入りしかなかったよ。
口腔スポンジ。
ぱぱすに三角巾が売り切れだったので、
来たバスに乗ればいいやと、
小松川3丁目バス停まで歩いた。
南口のドラッグストアへ行く。
三角巾ある。
ゆいに顔出ししようかと思たけど、
すぐバスが着たので乗って帰る。
あとバスタオル4枚を揃えた。
さっき老健に行った。
I井さんがいた。
「昨日言われた物持って来ましたー。」
「(かーちゃんが)昨日の晩ご飯も食べて、今朝も食べて、昼も食べたそうですよ。」
それは良かった!
「元々食いしん坊だからな。」と言ったら、
「そうですよね。うふふ(笑)。」と笑った。
I井さんに言うの忘れちゃった。
「テレビを見せてやってください。」
次に行った時に絶対言わなきゃ。
かーちゃんは昨日から、老健にある、
緑のチェックの車椅子になった。
背もたれが頭の上にまである。
足のガードもある。
私が見様見真似の介護をしているより、
プロにお任せした方がいい。
良かったと思った。
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昨日持って来てほしいと言われたものを買いに行く。
何か副看護婦長さんとケアマネI井さんが、
昨日正式名称を言わないで、
私に何となくどんな商品かを説明して、
それを頼りに買ってきたけど、これでいいのかな?
「100本入りで売ってます。」と副看護師長さんが言ってたけど、
50本入りしかなかったよ。
口腔スポンジ。
ぱぱすに三角巾が売り切れだったので、
来たバスに乗ればいいやと、
小松川3丁目バス停まで歩いた。
南口のドラッグストアへ行く。
三角巾ある。
ゆいに顔出ししようかと思たけど、
すぐバスが着たので乗って帰る。
あとバスタオル4枚を揃えた。
さっき老健に行った。
I井さんがいた。
「昨日言われた物持って来ましたー。」
「(かーちゃんが)昨日の晩ご飯も食べて、今朝も食べて、昼も食べたそうですよ。」
それは良かった!
「元々食いしん坊だからな。」と言ったら、
「そうですよね。うふふ(笑)。」と笑った。
I井さんに言うの忘れちゃった。
「テレビを見せてやってください。」
次に行った時に絶対言わなきゃ。
かーちゃんは昨日から、老健にある、
緑のチェックの車椅子になった。
背もたれが頭の上にまである。
足のガードもある。
私が見様見真似の介護をしているより、
プロにお任せした方がいい。
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小松クリニック49
昨日小松クリニック。
鼻をすすって泣きながら小松に向かうバスに乗る。
行ったら8人待ち、と言われたので、
「薬だけでお願いします。」と即答した。
O塚姉さんがアパートを引き払っている話をしたかったのだが、
自分が今泣いているので、
先生と話すのは、自分が拒否した。
小松診察室から出てくるなり、私が、
「薬だけにしてください。」と言うと、
「何かあった?」と聞いてくるので、
「かーちゃんを老健に入れた。」と言ったら、
「変化があったか。」と言うので、
「薬だけにしてください。薬だけにしてください。」と、2度お願いした。
小松に何か言われたら、また泣いちゃう。
そそくさとアイランド薬局に行って薬出してもらって、
老健でかーちゃんの荷物を出して空になったキャリーを引いて、
西友に行って今週の買い出しをする。
八百屋で野菜を買う。
晩ご飯も作る気がなかったので、
西友で太巻きと唐揚げを買って、
ミキサーみそ汁とビールを開けて食べた。
昨日帰ってきてブログを書きながら、
書きながら泣いた。
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鼻をすすって泣きながら小松に向かうバスに乗る。
行ったら8人待ち、と言われたので、
「薬だけでお願いします。」と即答した。
O塚姉さんがアパートを引き払っている話をしたかったのだが、
自分が今泣いているので、
先生と話すのは、自分が拒否した。
小松診察室から出てくるなり、私が、
「薬だけにしてください。」と言うと、
「何かあった?」と聞いてくるので、
「かーちゃんを老健に入れた。」と言ったら、
「変化があったか。」と言うので、
「薬だけにしてください。薬だけにしてください。」と、2度お願いした。
小松に何か言われたら、また泣いちゃう。
そそくさとアイランド薬局に行って薬出してもらって、
老健でかーちゃんの荷物を出して空になったキャリーを引いて、
西友に行って今週の買い出しをする。
八百屋で野菜を買う。
晩ご飯も作る気がなかったので、
西友で太巻きと唐揚げを買って、
ミキサーみそ汁とビールを開けて食べた。
昨日帰ってきてブログを書きながら、
書きながら泣いた。
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かーちゃん昨日老健に入る
かーちゃんの左肩骨折が判明してから、
自分でベッドから車椅子に移すのをやめた。
かーちゃんには、電動ベッドで横になってもらって、
そうしたらかーちゃんは飯の時間以外、寝ている。
飯の時間は、
かーちゃんが起きている時間を見計らって、
ベッドを起こして食べてもらった。
骨折判明後すぐのデイケアには行ってもらったが、
それは医者が行ってもいい、と言った。
なので行かせたが、デイサービスには行かせなかった。
1日でもうちにいて欲しかった。
昼飯後一眠りして、夕方起きている時間があるので、
かーちゃんが30年位前にVHSで録ったのをブルーレイに焼き直した、
音楽番組を毎日ブルーレイで再生した。
スターダストから始まる『わが心のスタンダード』を毎日聴かせた。
かーちゃんは聴きながら寝た。
老健に入ったら、もう好きな音楽が聴けないだろう。
そう思った。
かーちゃんが起きているのを見計らって、
毎日何度も何度もかーちゃんに、
大好きだよ、一緒にいれて楽しいよ、楽しかったよ、
あんたの娘のY子だよ、あたしの事忘れないで、と言った。
泣きながら私がそう言っているので、
何でそんなことを言われてるのかわからない風だった。
かーちゃんは、
ご飯を飲みこんだことも忘れてしまうレビー小体病だ。
きっと老健にいる間に、あたしのことを忘れるだろう。
昨日老健入所日。
昨日も書いたけど、ケアマネHさんが出社後、
すぐうちに来てくれた。
かーちゃんのおむつを替えて、
ベッドから車椅子に移乗するのをやってくれた。
Hさんに「ありがとうございます。だけど、こんなことになっちゃって。」と言ったら、
「仕方ないよ。」と返事がきた。
Hさん、他の担当の人の病院付き添いがあるので、
すぐ帰る。
Hさん帰ってすぐに、
居間で車椅子に座ったかーちゃんに、
とろみをつけたエネルギーゼリーと、
とろみをつけた野菜ジュースを飲ませる。
老健に行く時間まで居間で過ごしてもらう。
これが最後の晩餐だ。
うさのすけがいつもと違う様子を察して、
ちょろちょろしているので、
抱っこしてかーちゃんに触らせようとしたら、
逃げ回って押し入れにこもったので、
かーちゃんとの最後のお別れができなかった。
かーちゃんの写真は私が撮るので、
かーちゃん1人で写っているのがいっぱいあるが、
私と一緒に写っているのがない。
時間が来るまで、
かーちゃんと顔を並べている自撮り写真を何枚か撮った。
うちを出る時間になった。
もうかーちゃんの車椅子を押すのはこれで最後だ。
入所日が決まった日の電話で、老健のO槻さんに、
「どうやって来られますか?」と聞かれたので、
「最後だから私が押していきます。」と答えた。
安全性を重視して、介護タクシー呼ぶのも検討したが、
最後なので、かーちゃんの車椅子を押して、
老健まで行く。
老健まで5、6分しかない。
5、6分で終わりだ。
いつもより慎重に車椅子を押した。
「お待ちしていましたよ。」老健のI井さんとO槻さんが出迎えてくれた。
持っていった入所書類にハンコをまとめてバンバン押した。
かーちゃんは病院の方で検査になった。
処方箋が出た。
日本調剤に行くのに、お薬手帳をさっき預けたまんまだ。
薬出してもらうのにいるだろう? と思って、
受付に声をかけて、O槻さんに言うと、
O槻さんが老健フロアにお薬手帳を取りに行ってくれた。
O槻さんが戻ってくるのを待っていると、
かーちゃんの介護が始まった時から4年程担当してくれた、
一番最初のケアマネに声をかけられた。
「骨折されたそうで。もう(介護)長いですよね。」
「(ケアマネほっしーと会って)もう6年、7年かな。」
「入所するって聞きましたが。」
もうケアマネほっしーが知ってる頃のかーちゃんではないのだ。
寝ちゃって意識がなくなって、
私が誰だかわからない時が多くなったかーちゃんなのだ。
しゃべりづらそうにして、
返事もできないことが多くなったかーちゃんだ。
そんなことを言おうかと思ったら、泣けてきた。
こらえきれなくなって涙声になった。
ほっしーが慌てて「ああっ、私泣かせちゃって……。」と言った。
そんなこんなしてたら、O槻さんが戻ってきたので、
お薬手帳を受け取って「3時に来ます。」と言い捨てて、
急いで老健を出た。
かーちゃんの薬3か月分の処方箋を、
泣きながら日本調剤に持っていく。
「今日老健に入ったんですが、3時までに薬が欲しいんです。」
そしたら日本調剤のお姉ちゃんが、
「3時までにできるかどうかわかりませんので、お会計だけ済ませて頂けたら、うちが後で老健にお届けします。」
何てありがたいんだろう。
よろしくお願いした。
まだ泣けてきていたので、
泣きながらミニストップに行って、
ミートソーススパを買う。
1時過ぎていた。
お昼食べたら荷物を担いで再び老健に行かねばならない。
マスクで隠れているが、鼻水まで出ていた。
泣きながらうちに戻った。
右手にキャリー、左手に低反発クッションを抱えて、
3時前に老健に行く。
「5階(認知症フロアじゃない! 良かった!)に来てください。」と言われて、
荷物を抱えて5階に行く。
副看護師長さんに「お昼は全部食べましたよ。」と様子を聞く。
かーちゃんは風呂に入ってるそうで、
着替えを急いで出して渡して、薬を渡して、
他の持ってきた物も渡す。
今度は老健ケアマネI井さんと面談だ。
看取りの話、死んだ場合の話を聞いて、
書類にサインしてはんこを押した。
3年前に入所の時は、看取りの話なんてなかった。
遺体は葬儀屋さんに引き取りに来てもらってください、と言われた。
「デイ(ケア)のI藤(主任)も、娘さん(介護を)良くやってるって言ってましたよ。皆頑張られたのを知ってますよ。」そう言われたら、
そう言われたらまた泣けてきて、さっきより泣けてきて、
「もう私の見様見真似の介護じゃ無理なんですよ。パーキンソン病レビー小体病で要介護5の介護をするのは無理なんですよ。」
かーちゃんの体は硬直が激しくなっていて、
両足は伸びない。
足の曲がりが酷くなってきていて、
おむつを替えるのもままならない。
首は自分で支えられなくなっていて、後ろに倒れたままになる。
その上骨折した。
「もうプロの、介護のプロの方にお任せするしかないんですよ。」
泣きながら、そう言った。
私とこれ以上一緒に居ると、
私がかーちゃんを殺すような事になるやもしれない。
食べさせて誤嚥させて死ぬ目に合わせるかもしれない。
そんなことになるよりは。
1日でも生きてもらうには。
かーちゃんを老健に入れて、
生き別れになる道を選んだ。
かーちゃん、ごめんなさい。
私を許してください。
許してください。
「よろしくお願いします。」とI井さんに頭を下げて老健を出た。
泣いてたけど、
小松に行かないと薬切れそうになってるので、
空になったキャリーを引いて二小松まで行って、
小松に向かった。
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自分でベッドから車椅子に移すのをやめた。
かーちゃんには、電動ベッドで横になってもらって、
そうしたらかーちゃんは飯の時間以外、寝ている。
飯の時間は、
かーちゃんが起きている時間を見計らって、
ベッドを起こして食べてもらった。
骨折判明後すぐのデイケアには行ってもらったが、
それは医者が行ってもいい、と言った。
なので行かせたが、デイサービスには行かせなかった。
1日でもうちにいて欲しかった。
昼飯後一眠りして、夕方起きている時間があるので、
かーちゃんが30年位前にVHSで録ったのをブルーレイに焼き直した、
音楽番組を毎日ブルーレイで再生した。
スターダストから始まる『わが心のスタンダード』を毎日聴かせた。
かーちゃんは聴きながら寝た。
老健に入ったら、もう好きな音楽が聴けないだろう。
そう思った。
かーちゃんが起きているのを見計らって、
毎日何度も何度もかーちゃんに、
大好きだよ、一緒にいれて楽しいよ、楽しかったよ、
あんたの娘のY子だよ、あたしの事忘れないで、と言った。
泣きながら私がそう言っているので、
何でそんなことを言われてるのかわからない風だった。
かーちゃんは、
ご飯を飲みこんだことも忘れてしまうレビー小体病だ。
きっと老健にいる間に、あたしのことを忘れるだろう。
昨日老健入所日。
昨日も書いたけど、ケアマネHさんが出社後、
すぐうちに来てくれた。
かーちゃんのおむつを替えて、
ベッドから車椅子に移乗するのをやってくれた。
Hさんに「ありがとうございます。だけど、こんなことになっちゃって。」と言ったら、
「仕方ないよ。」と返事がきた。
Hさん、他の担当の人の病院付き添いがあるので、
すぐ帰る。
Hさん帰ってすぐに、
居間で車椅子に座ったかーちゃんに、
とろみをつけたエネルギーゼリーと、
とろみをつけた野菜ジュースを飲ませる。
老健に行く時間まで居間で過ごしてもらう。
これが最後の晩餐だ。
うさのすけがいつもと違う様子を察して、
ちょろちょろしているので、
抱っこしてかーちゃんに触らせようとしたら、
逃げ回って押し入れにこもったので、
かーちゃんとの最後のお別れができなかった。
かーちゃんの写真は私が撮るので、
かーちゃん1人で写っているのがいっぱいあるが、
私と一緒に写っているのがない。
時間が来るまで、
かーちゃんと顔を並べている自撮り写真を何枚か撮った。
うちを出る時間になった。
もうかーちゃんの車椅子を押すのはこれで最後だ。
入所日が決まった日の電話で、老健のO槻さんに、
「どうやって来られますか?」と聞かれたので、
「最後だから私が押していきます。」と答えた。
安全性を重視して、介護タクシー呼ぶのも検討したが、
最後なので、かーちゃんの車椅子を押して、
老健まで行く。
老健まで5、6分しかない。
5、6分で終わりだ。
いつもより慎重に車椅子を押した。
「お待ちしていましたよ。」老健のI井さんとO槻さんが出迎えてくれた。
持っていった入所書類にハンコをまとめてバンバン押した。
かーちゃんは病院の方で検査になった。
処方箋が出た。
日本調剤に行くのに、お薬手帳をさっき預けたまんまだ。
薬出してもらうのにいるだろう? と思って、
受付に声をかけて、O槻さんに言うと、
O槻さんが老健フロアにお薬手帳を取りに行ってくれた。
O槻さんが戻ってくるのを待っていると、
かーちゃんの介護が始まった時から4年程担当してくれた、
一番最初のケアマネに声をかけられた。
「骨折されたそうで。もう(介護)長いですよね。」
「(ケアマネほっしーと会って)もう6年、7年かな。」
「入所するって聞きましたが。」
もうケアマネほっしーが知ってる頃のかーちゃんではないのだ。
寝ちゃって意識がなくなって、
私が誰だかわからない時が多くなったかーちゃんなのだ。
しゃべりづらそうにして、
返事もできないことが多くなったかーちゃんだ。
そんなことを言おうかと思ったら、泣けてきた。
こらえきれなくなって涙声になった。
ほっしーが慌てて「ああっ、私泣かせちゃって……。」と言った。
そんなこんなしてたら、O槻さんが戻ってきたので、
お薬手帳を受け取って「3時に来ます。」と言い捨てて、
急いで老健を出た。
かーちゃんの薬3か月分の処方箋を、
泣きながら日本調剤に持っていく。
「今日老健に入ったんですが、3時までに薬が欲しいんです。」
そしたら日本調剤のお姉ちゃんが、
「3時までにできるかどうかわかりませんので、お会計だけ済ませて頂けたら、うちが後で老健にお届けします。」
何てありがたいんだろう。
よろしくお願いした。
まだ泣けてきていたので、
泣きながらミニストップに行って、
ミートソーススパを買う。
1時過ぎていた。
お昼食べたら荷物を担いで再び老健に行かねばならない。
マスクで隠れているが、鼻水まで出ていた。
泣きながらうちに戻った。
右手にキャリー、左手に低反発クッションを抱えて、
3時前に老健に行く。
「5階(認知症フロアじゃない! 良かった!)に来てください。」と言われて、
荷物を抱えて5階に行く。
副看護師長さんに「お昼は全部食べましたよ。」と様子を聞く。
かーちゃんは風呂に入ってるそうで、
着替えを急いで出して渡して、薬を渡して、
他の持ってきた物も渡す。
今度は老健ケアマネI井さんと面談だ。
看取りの話、死んだ場合の話を聞いて、
書類にサインしてはんこを押した。
3年前に入所の時は、看取りの話なんてなかった。
遺体は葬儀屋さんに引き取りに来てもらってください、と言われた。
「デイ(ケア)のI藤(主任)も、娘さん(介護を)良くやってるって言ってましたよ。皆頑張られたのを知ってますよ。」そう言われたら、
そう言われたらまた泣けてきて、さっきより泣けてきて、
「もう私の見様見真似の介護じゃ無理なんですよ。パーキンソン病レビー小体病で要介護5の介護をするのは無理なんですよ。」
かーちゃんの体は硬直が激しくなっていて、
両足は伸びない。
足の曲がりが酷くなってきていて、
おむつを替えるのもままならない。
首は自分で支えられなくなっていて、後ろに倒れたままになる。
その上骨折した。
「もうプロの、介護のプロの方にお任せするしかないんですよ。」
泣きながら、そう言った。
私とこれ以上一緒に居ると、
私がかーちゃんを殺すような事になるやもしれない。
食べさせて誤嚥させて死ぬ目に合わせるかもしれない。
そんなことになるよりは。
1日でも生きてもらうには。
かーちゃんを老健に入れて、
生き別れになる道を選んだ。
かーちゃん、ごめんなさい。
私を許してください。
許してください。
「よろしくお願いします。」とI井さんに頭を下げて老健を出た。
泣いてたけど、
小松に行かないと薬切れそうになってるので、
空になったキャリーを引いて二小松まで行って、
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ケアマネHさん 老健入所前に来てくれる
昨日朝、ケアマネHさん。
出社してすぐうちに来てくれる。
ベッドで寝ているかーちゃんの、
おむつを替えてくれる。
車椅子に乗せてくれる。
「ハーティーさんが老健に午後車椅子取りに来るから。」
連絡事項のやり取りはこれが最後。
「Hさん、来てくれてありがとう。」
お礼を言った。
午後かーちゃん老健入所後、Hさんに電話。
「無事に老健に入りました。ありがとうございました。何かわからない事があったら、また電話をするかもしれません。」
老健から特養に入れる話しも出てきたので、
老健に入れて介護終わりではない。
まだ先がある。
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出社してすぐうちに来てくれる。
ベッドで寝ているかーちゃんの、
おむつを替えてくれる。
車椅子に乗せてくれる。
「ハーティーさんが老健に午後車椅子取りに来るから。」
連絡事項のやり取りはこれが最後。
「Hさん、来てくれてありがとう。」
お礼を言った。
午後かーちゃん老健入所後、Hさんに電話。
「無事に老健に入りました。ありがとうございました。何かわからない事があったら、また電話をするかもしれません。」
老健から特養に入れる話しも出てきたので、
老健に入れて介護終わりではない。
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2020年09月15日
さらば、かーちゃん!
今日かーちゃんを老健に入れた。
かーちゃん、楽しかったよ。
一緒にいれて、楽しいよ。
かーちゃんのことが大好きだよ。
私の事を忘れないで。
かーちゃんを老健に入れることを決めてから、
毎日返事をしない(できない)かーちゃんに、
そう話した。
何でそんなことを話しているのか、
かーちゃんは腑に落ちない様子だった。
レビー小体が酷くなく、意識がある時は、
私や他の人が何を言っているのか、
理解できているのだ。
7月8月から、かーちゃんの体の状態が酷くなった。
首を自分で支えられなくて、
後ろに倒れたまんま。
足はもう、何年か前から曲がりっぱなし。
真っ直ぐに伸びない。
ちぢまっていくばかり。
おむつを替えるのも大変だった。
かーちゃん、ごめんなさい。
私はもう、パーキンソン病レビー小体病のかーちゃんの、
介護をするのができません。
かーちゃんの体の具合が悪くなっていくのに、
対応できません。
プロの、介護をしてくれる人たちのところに入れた。
私の見様見真似の介護より、
手厚い介護をしてくれるだろう。
かーちゃん、ごめんなさい。
ごめんなさい。
生き別れの道を選んだ私を許してください。
老健に入って、1日でもかーちゃんが生きてくれるなら。
私がこのまま介護して、
かーちゃんを殺すようなことになってしまったら。
私の事を忘れないで。
泣きながら、何度もかーちゃんにそう言った。
レビー小体病は、口の中に入れた食べ物を、
ゴックンするのも忘れるそうだ。
ご飯を飲みこむのも忘れちゃうなら、
きっと私の事も忘れるだろう。
だけど、私の事を忘れないで、と、何度も言った。
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かーちゃん、楽しかったよ。
一緒にいれて、楽しいよ。
かーちゃんのことが大好きだよ。
私の事を忘れないで。
かーちゃんを老健に入れることを決めてから、
毎日返事をしない(できない)かーちゃんに、
そう話した。
何でそんなことを話しているのか、
かーちゃんは腑に落ちない様子だった。
レビー小体が酷くなく、意識がある時は、
私や他の人が何を言っているのか、
理解できているのだ。
7月8月から、かーちゃんの体の状態が酷くなった。
首を自分で支えられなくて、
後ろに倒れたまんま。
足はもう、何年か前から曲がりっぱなし。
真っ直ぐに伸びない。
ちぢまっていくばかり。
おむつを替えるのも大変だった。
かーちゃん、ごめんなさい。
私はもう、パーキンソン病レビー小体病のかーちゃんの、
介護をするのができません。
かーちゃんの体の具合が悪くなっていくのに、
対応できません。
プロの、介護をしてくれる人たちのところに入れた。
私の見様見真似の介護より、
手厚い介護をしてくれるだろう。
かーちゃん、ごめんなさい。
ごめんなさい。
生き別れの道を選んだ私を許してください。
老健に入って、1日でもかーちゃんが生きてくれるなら。
私がこのまま介護して、
かーちゃんを殺すようなことになってしまったら。
私の事を忘れないで。
泣きながら、何度もかーちゃんにそう言った。
レビー小体病は、口の中に入れた食べ物を、
ゴックンするのも忘れるそうだ。
ご飯を飲みこむのも忘れちゃうなら、
きっと私の事も忘れるだろう。
だけど、私の事を忘れないで、と、何度も言った。
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2020年09月13日
かーちゃんのVHS8
かーちゃんのVHSコレクション8
1999年12月録画。
NHKスペシャル イスラム潮流 第3回
マンハッタンにコーランが流れる〜急増するアメリカのイスラム教徒〜
NHKサンデースポーツ
NHKスペシャル イスラム潮流 第2回
途中から最後まで。
NHKスペシャル イスラム潮流 第1回
全てはメッカに始まる〜世界に広がる13億人〜
NHK こんやのミッドナイトスペシャル
絆 ともに生きる 第6回
異邦人たちのニッポン 多国籍社会へ
最初から途中まで。
VHSテープの箱に、
かーちゃんの字で『イスラムの』と書いてあった。
何度も見たかったに違いない。
1999年12月録画。
NHKスペシャル イスラム潮流 第3回
マンハッタンにコーランが流れる〜急増するアメリカのイスラム教徒〜
NHKサンデースポーツ
NHKスペシャル イスラム潮流 第2回
途中から最後まで。
NHKスペシャル イスラム潮流 第1回
全てはメッカに始まる〜世界に広がる13億人〜
NHK こんやのミッドナイトスペシャル
絆 ともに生きる 第6回
異邦人たちのニッポン 多国籍社会へ
最初から途中まで。
VHSテープの箱に、
かーちゃんの字で『イスラムの』と書いてあった。
何度も見たかったに違いない。
2020年09月12日
2020年09月08日
整形外科 かーちゃんを落っことす、その後
土曜日に、かーちゃんを、
ベッドから車椅子に移乗の際、落っことした。
変な体制で7分くらいいた。
ケア21のヘルパーさんに来てもらって助けてもらった。
その後。
日曜午前中に、
かーちゃんの腕が青く内出血しているのを発見した。
手に触ると、腕がブランブランしている。
おかしい。
だけど痛がらない。
もしや骨が? と思って、城東の日曜診療に電話する。
思っていた通り、整形外科の先生はいなかったので、
すぐ診てもらいたかったが、
月曜に整形外科に行くようにした。
月曜日。
受付終わって整形外科の前で順番待ちをしていたら、
かーちゃんが臭い。
大の臭いがする。
かーちゃんはもう、自分の意識の管理で、
大と小ができないのだ。
出したい時に垂れ流し。
ズボンやら車椅子やらを汚していて、
かーちゃんは大をしていた。
急いであわてて持っていたティッシュで拭いたが、
それでは間に合わない。
デイケアの人に助けてもらおう。
そう思って、通路を通ってデイの方に行った。
運良く、老健ケアマネのI井さんが目の前にいた。
駆け寄って、「今整形外科で順番待ちしてるんですけど、(かーちゃんが)大の方を失禁しちゃって、服の替えとか持ってなくて、助けてもらえないですか?」と言うと、
「2階で聞いてきますから、ちょっと待っててくださいね。」と、快く返事をしてくれた。
2階で、かーちゃんの失禁の処理をしてくれた。
替えのズボンまで貸してくれた。
診察。
レントゲンを撮る。
結果。
「残念ですが骨折しています。」
入院か? と思ったが、先生が、
「手術するとなると、ご高齢ですし、全身麻酔のデメリットがあります。そういうことを考えると、このまま自然治癒の方がいいかもしれません。」と言われて、薬も痛み止めも処方がなかった。
私がかーちゃんを骨折させてしまった。
もう私1人では介護できないのかもしれない。
8月以降、かーちゃんの体の硬直が前より進んでいて、
移乗するのが、毎回大変だ。
また落っことしちゃうかもしれない。
毎回ヒヤヒヤしている。
だけど、何とか、
かーちゃんが家にいて過ごせるようにならないか?
かーちゃんのVHSコレクションを、
ようやっとダビングして、
ブルーレイで見られるようにしたばかりだ。
だけど、この8月以降、
「私はだぁれ?」と私の事を聞いても、返事をしない日が多い。
私が誰だかわからなくなってきている。
自分の名前を呼ばれても、
返事をしない日の方が多くなってきた。
だけど10日くらい前には、
自分が録ったVHSを「見たい!」と返事をした。
その返事を信じていた。
だけど、このままうちにいたら、
私がかーちゃんを殺してしまうかもしれない。
ミキサーとろみ食にしているが、むせる。
このまま詰まったらどうしよう、といつも思う。
またかーちゃんを落っことして、ケガをさせるかもしれない。
事実、そうなった。
何とかそれでも、まだ意識が残ってるかーちゃんが、
家で過ごせるようにならないか?
そう思って、私1人ではもう介護無理なので、
介護ヘルパーを入れるのを考えた。
自分ちでのかーちゃんと自分のサイクルを考えて、
ヘルパーさんに移乗をやってもらおう。
ケアマネに相談した。
「点数が足らないよ。」そう言われた。
私が理想としたヘルパーさん導入は、すぐ却下された。
それは昨日の話。
自分で移乗させないといけない。
それはもう無理だからできない。
「施設に入ってもらった方が、料金は安くなるよ。」そうケアマネは言った。
自分でできないのを人にやってもらうのに、
ヘルパーではなく施設入所を考えないといけないのなら、
家から近い施設がいい。
そう思った。
今日、老健に電話した。
入所したい旨を伝えた。
かーちゃんとさよならする日が近くなった。
泣きそうになった。
胸が痛い。
かーちゃんを施設に入れる私を、許してくれるだろうか。
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ベッドから車椅子に移乗の際、落っことした。
変な体制で7分くらいいた。
ケア21のヘルパーさんに来てもらって助けてもらった。
その後。
日曜午前中に、
かーちゃんの腕が青く内出血しているのを発見した。
手に触ると、腕がブランブランしている。
おかしい。
だけど痛がらない。
もしや骨が? と思って、城東の日曜診療に電話する。
思っていた通り、整形外科の先生はいなかったので、
すぐ診てもらいたかったが、
月曜に整形外科に行くようにした。
月曜日。
受付終わって整形外科の前で順番待ちをしていたら、
かーちゃんが臭い。
大の臭いがする。
かーちゃんはもう、自分の意識の管理で、
大と小ができないのだ。
出したい時に垂れ流し。
ズボンやら車椅子やらを汚していて、
かーちゃんは大をしていた。
急いであわてて持っていたティッシュで拭いたが、
それでは間に合わない。
デイケアの人に助けてもらおう。
そう思って、通路を通ってデイの方に行った。
運良く、老健ケアマネのI井さんが目の前にいた。
駆け寄って、「今整形外科で順番待ちしてるんですけど、(かーちゃんが)大の方を失禁しちゃって、服の替えとか持ってなくて、助けてもらえないですか?」と言うと、
「2階で聞いてきますから、ちょっと待っててくださいね。」と、快く返事をしてくれた。
2階で、かーちゃんの失禁の処理をしてくれた。
替えのズボンまで貸してくれた。
診察。
レントゲンを撮る。
結果。
「残念ですが骨折しています。」
入院か? と思ったが、先生が、
「手術するとなると、ご高齢ですし、全身麻酔のデメリットがあります。そういうことを考えると、このまま自然治癒の方がいいかもしれません。」と言われて、薬も痛み止めも処方がなかった。
私がかーちゃんを骨折させてしまった。
もう私1人では介護できないのかもしれない。
8月以降、かーちゃんの体の硬直が前より進んでいて、
移乗するのが、毎回大変だ。
また落っことしちゃうかもしれない。
毎回ヒヤヒヤしている。
だけど、何とか、
かーちゃんが家にいて過ごせるようにならないか?
かーちゃんのVHSコレクションを、
ようやっとダビングして、
ブルーレイで見られるようにしたばかりだ。
だけど、この8月以降、
「私はだぁれ?」と私の事を聞いても、返事をしない日が多い。
私が誰だかわからなくなってきている。
自分の名前を呼ばれても、
返事をしない日の方が多くなってきた。
だけど10日くらい前には、
自分が録ったVHSを「見たい!」と返事をした。
その返事を信じていた。
だけど、このままうちにいたら、
私がかーちゃんを殺してしまうかもしれない。
ミキサーとろみ食にしているが、むせる。
このまま詰まったらどうしよう、といつも思う。
またかーちゃんを落っことして、ケガをさせるかもしれない。
事実、そうなった。
何とかそれでも、まだ意識が残ってるかーちゃんが、
家で過ごせるようにならないか?
そう思って、私1人ではもう介護無理なので、
介護ヘルパーを入れるのを考えた。
自分ちでのかーちゃんと自分のサイクルを考えて、
ヘルパーさんに移乗をやってもらおう。
ケアマネに相談した。
「点数が足らないよ。」そう言われた。
私が理想としたヘルパーさん導入は、すぐ却下された。
それは昨日の話。
自分で移乗させないといけない。
それはもう無理だからできない。
「施設に入ってもらった方が、料金は安くなるよ。」そうケアマネは言った。
自分でできないのを人にやってもらうのに、
ヘルパーではなく施設入所を考えないといけないのなら、
家から近い施設がいい。
そう思った。
今日、老健に電話した。
入所したい旨を伝えた。
かーちゃんとさよならする日が近くなった。
泣きそうになった。
胸が痛い。
かーちゃんを施設に入れる私を、許してくれるだろうか。
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