かーちゃんの左肩骨折が判明してから、
自分でベッドから車椅子に移すのをやめた。
かーちゃんには、電動ベッドで横になってもらって、
そうしたらかーちゃんは飯の時間以外、寝ている。
飯の時間は、
かーちゃんが起きている時間を見計らって、
ベッドを起こして食べてもらった。
骨折判明後すぐのデイケアには行ってもらったが、
それは医者が行ってもいい、と言った。
なので行かせたが、デイサービスには行かせなかった。
1日でもうちにいて欲しかった。
昼飯後一眠りして、夕方起きている時間があるので、
かーちゃんが30年位前にVHSで録ったのをブルーレイに焼き直した、
音楽番組を毎日ブルーレイで再生した。
スターダストから始まる『わが心のスタンダード』を毎日聴かせた。
かーちゃんは聴きながら寝た。
老健に入ったら、もう好きな音楽が聴けないだろう。
そう思った。
かーちゃんが起きているのを見計らって、
毎日何度も何度もかーちゃんに、
大好きだよ、一緒にいれて楽しいよ、楽しかったよ、
あんたの娘のY子だよ、あたしの事忘れないで、と言った。
泣きながら私がそう言っているので、
何でそんなことを言われてるのかわからない風だった。
かーちゃんは、
ご飯を飲みこんだことも忘れてしまうレビー小体病だ。
きっと老健にいる間に、あたしのことを忘れるだろう。
昨日老健入所日。
昨日も書いたけど、ケアマネHさんが出社後、
すぐうちに来てくれた。
かーちゃんのおむつを替えて、
ベッドから車椅子に移乗するのをやってくれた。
Hさんに「ありがとうございます。だけど、こんなことになっちゃって。」と言ったら、
「仕方ないよ。」と返事がきた。
Hさん、他の担当の人の病院付き添いがあるので、
すぐ帰る。
Hさん帰ってすぐに、
居間で車椅子に座ったかーちゃんに、
とろみをつけたエネルギーゼリーと、
とろみをつけた野菜ジュースを飲ませる。
老健に行く時間まで居間で過ごしてもらう。
これが最後の晩餐だ。
うさのすけがいつもと違う様子を察して、
ちょろちょろしているので、
抱っこしてかーちゃんに触らせようとしたら、
逃げ回って押し入れにこもったので、
かーちゃんとの最後のお別れができなかった。
かーちゃんの写真は私が撮るので、
かーちゃん1人で写っているのがいっぱいあるが、
私と一緒に写っているのがない。
時間が来るまで、
かーちゃんと顔を並べている自撮り写真を何枚か撮った。
うちを出る時間になった。
もうかーちゃんの車椅子を押すのはこれで最後だ。
入所日が決まった日の電話で、老健のO槻さんに、
「どうやって来られますか?」と聞かれたので、
「最後だから私が押していきます。」と答えた。
安全性を重視して、介護タクシー呼ぶのも検討したが、
最後なので、かーちゃんの車椅子を押して、
老健まで行く。
老健まで5、6分しかない。
5、6分で終わりだ。
いつもより慎重に車椅子を押した。
「お待ちしていましたよ。」老健のI井さんとO槻さんが出迎えてくれた。
持っていった入所書類にハンコをまとめてバンバン押した。
かーちゃんは病院の方で検査になった。
処方箋が出た。
日本調剤に行くのに、お薬手帳をさっき預けたまんまだ。
薬出してもらうのにいるだろう? と思って、
受付に声をかけて、O槻さんに言うと、
O槻さんが老健フロアにお薬手帳を取りに行ってくれた。
O槻さんが戻ってくるのを待っていると、
かーちゃんの介護が始まった時から4年程担当してくれた、
一番最初のケアマネに声をかけられた。
「骨折されたそうで。もう(介護)長いですよね。」
「(ケアマネほっしーと会って)もう6年、7年かな。」
「入所するって聞きましたが。」
もうケアマネほっしーが知ってる頃のかーちゃんではないのだ。
寝ちゃって意識がなくなって、
私が誰だかわからない時が多くなったかーちゃんなのだ。
しゃべりづらそうにして、
返事もできないことが多くなったかーちゃんだ。
そんなことを言おうかと思ったら、泣けてきた。
こらえきれなくなって涙声になった。
ほっしーが慌てて「ああっ、私泣かせちゃって……。」と言った。
そんなこんなしてたら、O槻さんが戻ってきたので、
お薬手帳を受け取って「3時に来ます。」と言い捨てて、
急いで老健を出た。
かーちゃんの薬3か月分の処方箋を、
泣きながら日本調剤に持っていく。
「今日老健に入ったんですが、3時までに薬が欲しいんです。」
そしたら日本調剤のお姉ちゃんが、
「3時までにできるかどうかわかりませんので、お会計だけ済ませて頂けたら、うちが後で老健にお届けします。」
何てありがたいんだろう。
よろしくお願いした。
まだ泣けてきていたので、
泣きながらミニストップに行って、
ミートソーススパを買う。
1時過ぎていた。
お昼食べたら荷物を担いで再び老健に行かねばならない。
マスクで隠れているが、鼻水まで出ていた。
泣きながらうちに戻った。
右手にキャリー、左手に低反発クッションを抱えて、
3時前に老健に行く。
「5階(認知症フロアじゃない! 良かった!)に来てください。」と言われて、
荷物を抱えて5階に行く。
副看護師長さんに「お昼は全部食べましたよ。」と様子を聞く。
かーちゃんは風呂に入ってるそうで、
着替えを急いで出して渡して、薬を渡して、
他の持ってきた物も渡す。
今度は老健ケアマネI井さんと面談だ。
看取りの話、死んだ場合の話を聞いて、
書類にサインしてはんこを押した。
3年前に入所の時は、看取りの話なんてなかった。
遺体は葬儀屋さんに引き取りに来てもらってください、と言われた。
「デイ(ケア)のI藤(主任)も、娘さん(介護を)良くやってるって言ってましたよ。皆頑張られたのを知ってますよ。」そう言われたら、
そう言われたらまた泣けてきて、さっきより泣けてきて、
「もう私の見様見真似の介護じゃ無理なんですよ。パーキンソン病レビー小体病で要介護5の介護をするのは無理なんですよ。」
かーちゃんの体は硬直が激しくなっていて、
両足は伸びない。
足の曲がりが酷くなってきていて、
おむつを替えるのもままならない。
首は自分で支えられなくなっていて、後ろに倒れたままになる。
その上骨折した。
「もうプロの、介護のプロの方にお任せするしかないんですよ。」
泣きながら、そう言った。
私とこれ以上一緒に居ると、
私がかーちゃんを殺すような事になるやもしれない。
食べさせて誤嚥させて死ぬ目に合わせるかもしれない。
そんなことになるよりは。
1日でも生きてもらうには。
かーちゃんを老健に入れて、
生き別れになる道を選んだ。
かーちゃん、ごめんなさい。
私を許してください。
許してください。
「よろしくお願いします。」とI井さんに頭を下げて老健を出た。
泣いてたけど、
小松に行かないと薬切れそうになってるので、
空になったキャリーを引いて二小松まで行って、
小松に向かった。
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2020年09月16日
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